ポップス、ロックの原点的存在である、ビートルズとストーンズ、ロックの誕生と発展をずっと見てきた彼ら。彼らの人生そのものがポップやロックの歴史をそのまま体感できた世代だったと言えるんだろうな~。
そんな生き字引のような存在から、まるで「ハンターハンター」のネテロ会長の最後らへんのようなw、新曲の発売。まさかの展開だったんだけど、その発表された新作を聞いてみて思ったことがあった。
1つは、ストーンズの新作、アルバムは聞いてはいないんだけど、インタビュー記事でキースリチャーズさんが、「今の音楽はデジタル臭くて嫌いだ」と言っていたのが印象的でね。ああ、確かにそれは言えてるな~と共感したんだよね。
今や録音技術も演奏もデジタル化された機械で行われる時代だからね。人間がまだ人間の手で音楽を奏でていた頃を知ってる人たちからすれば、あのサウンドは機械ではけして作り出せないものなんだろうな~って思う。
私もこのデジタル臭さというのはあまり好きじゃないんだけど、便利なので使ってはいるんだよねw
でも、やっぱり、音楽のもっと本質的な部分を考えるのであれば、やっぱり音楽は人の手で奏でられてこその芸術なんじゃないかなと思う。だから、ロック界の大御所、元始天尊w キースリチャーズさんの意見は、とても貴重だな~と思えるんだよね。
これからのミュージシャン、これからの音楽シーンにおいて、デジタルの発展も分からなくはないけど、アナログの素晴らしさも忘れないで引き継いでいきたいと思う。
そして、こないだ発表された、ビートルズの新作、「ナウアンドゼン」。ユーチューブでも無料で聞けるので、私もさっそく聞いてみたのだが、なんてことはない平凡な曲という印象ではあったけど、やっぱり深みのある曲だな~と思った。
でも、多くの人は、音楽の見識のある人達はおそらく、平凡だとか、退屈だとか思うんだろうな~。だけど、そこがこの曲の本当のメッセージなのかもしれないとも思うんだよね。
テクノロジーはすごく進歩したし、音楽の技術もとても進歩した、それは時代の必然だったんだろうとは思うんだけど、でも、
本当に大切なものは何だろう?
という疑問もある。凝ったコード進行や、凝ったメロディこそが、音楽の価値なのだろうか?優れた演奏技術こそが音楽の価値を決めるものなのだろうか?
このジョンレノンの朴訥した曲を聴いていると、そういう問いかけが聞こえてくる感じがするんだよね。音楽にとって本当に大切なのは、何を表現したいかという事なんじゃないかなという感じ。
音楽はそもそも、表現したいものがあって作られる。うれしい気持ちとか、楽しい気持ちとかを表現するために、音は奏でられ、曲は作られたはずだ。
でも、技術が発展すると、そうした表現したいものがなくても、形式的に音楽を生成することができるようになっていく。
そうなっていくと、形式的で、表現したいものがない音楽というのが溢れてしまようになるんだよね~。すべてが体裁というのかな~、綺麗な演奏で、おしゃれな和音で、クールなメロディという、そんな感じだ。
そしてそれらは概ね、誰かに勝ろうとするモチベーションのもとに作られている感じだ。なので、それらの曲は比較され、体裁の良しあしが優劣として決められてしまう。
しかし、それは、音楽の中身なんか何も見ていないし、理解していないという事でもあるんだよね、、
偉大なる、歴史に残るこの二つのバンドから、発表された新曲には、そういう重要なメッセージが込められている感じがするね~。
いや、でも、令和のこの時代に、こんなリアルな音楽体験ができるなんて思ってなかったけど、今年を締めくくるにはいい曲だったかなと思います。
うむ~やっぱり、ストーンズとビートルズは偉大なバンドだったんだな~と思いました。これからも大切にしたいと思います('ω')
はい、というわけで、今回はこのへんで、よい週末を、おやすみなさい~('ω')ノ
うむ~、歌唱はいまいちだったけどw 歌詞は理解できたかな。いい曲ですよね~。歌は心なんだな~と改めて思います。