調性音楽

 

最近ユーチューブでみたんだけど、もともと今西洋音楽で使われているスケールってのは「純正律」という考え方でチューニングされていたらしい。純正律とは何かというと、説明するとややこしいので、詳しいことはユーチューブを見てもらえばいいかなと思うんだけど、要するに、数学的に周波数を調整していって得られるとても、ハーモニーが美しい調律って感じかな。

 

なので、純正律での和音はとてもとても美しく響くと言われている。でも、純正律だと他のキーに移調したり転調したりすると、音が著しく濁るとも言われている。なので、純正律ではキーは1つだけしか、演奏できず、あちこち転調するというのは難しいらしい。

 

この点を改善したのが「平均律」で、こちらは完璧な和音にはなりきれないのだが、転調や移調を行っても和音が大きく乱れることはないという特徴を持つ。便利で使いやすいという特徴なので、現代ではこの平均律が通常使われているらしい。

 

ふと思ったのだが、何故転調というものが行われるようになったんだろう?という疑問。1つのキーだけでも良かったような気もする。というか私の場合は、アドリブもほぼ1つのキーのみなので、転調という必要もあまり感じない。

 

それに、転調って、同じことを高さを変えてやってるだけに思えて、あまり面白くないというのもある。

 

でも、実は、純正律の考え方から、転調を考えてみると、CメジャースケールとÐメジャースケールは、そもそも別のスケールだったということになる。似ているけど、微妙に、人間の耳で識別できるかどうかわからないぐらい?音の並びの間隔はことなっているということになる。

 

ほむ、そうなると、純正律での転調というのは、ほぼ別のスケールの世界にいってしまうということになるんだろうな~。でも、それって、かなり無限の可能性を秘めている世界でもある気がするんだよね。

 

音の高さをただ変えて同じことを繰り返すやりかたじゃない。スケール自体が別もになり、全く別の世界に展開する。うーん、これってなんか無限に可能性のある世界じゃね?って思う。

 

私の感じているマンネリカ。その一つの原因を作ったのはもしかすると「平均律」だったのかもしれない。便利で使いやすい調律だったけど、「らせん」のような音楽形式になってしまう弱点?もあったんだろうね~。

 

ただ、確かに、平均律での転調というのは、同じことを高さを変えて繰り返しているだけのように見えるんだけど、厳密に言えば、同じスケールでも、音の高さが変わると違って聞こえるということもあるんだよね。

 

同じメジャースケールでも、CメジャーとÐメジャーとでは、厳密には違って聞くこともできるんだ。そう考えると、スケール的には同じでも、12個別のスケールが存在しているという風にも捉えられる。

 

そういう風にとらえれば、平均律における転調は、らせんではなく、らせん的ではあるけども、異なった展開だと言えなくもない。

 

でも、もっとはっきりとした展開を望むのなら、転調するキーのスケールを変化させてしまうという手もありだろうな~。Cメジャースケールから、Ðミクソリディアンスケールにいくみたいなね。

 

こういうのなんていうんだろうね?「モードジャズ」とか言ったりするんだろうか?コードの概念じゃなくて、スケールからスケールへの変化による転調みたいな感じ。

 

まあ、演奏するとなると、すべてのキーのすべてのスケールを把握しておかないといけないので、かなり覚えることが多そうなんだけどw でも、確かにこの方法を使えばもっと多様な、ヴァリエーション的に無限にありうる音楽が作れそうな気もするね。

 

ヴァリエーションを求めていくと、クラッシック音楽的には「無調性」とか、「12音技法」とかいった世界になることもできるんだけど、そこまでいくと、ちょっと理解しにくい。

 

なので、そこまでいくんじゃなくて、その一歩手前の、モードジャズ的な発想でヴァリエーションを考えるってのもありかな~と思います。

 

でも、実際そんな先進的な手法で作曲している人って、誰かいるだろうか?私は知らないんだけど、アイディア的には誰かがやってそうな感じだからね~。探してみるのも面白いかもしれないな~。

 

はい、じゃ今回は、調性音楽の謎について考えてみました。

 

では、今回はこのへんで、またね~('ω')ノ

 

 

 

 

ほむ~、やっぱりジャズのアイディアなんですね~。マイルスデイビスさんはあまり聞いたことないけど、この機会に聞いてみるかな~。